ハンガリーとユダヤ教

世界中のほとんどの国で見かけるチャイナタウン。
インド人街やアラブ人街、コリアンタウンもなんかもよくあるし。
東南アジアや南、東アジアでは見かけることがなかった場所がここハンガリーにはあった。
ユダヤ人街だ。



この写真の建物を見て何の建物かわかる人は多くないと思う。
これはシナゴーグと呼ばれるユダヤ教の会堂だ。
仏教でいう寺院、イスラム教ならモスク、キリスト教なら教会にあたるユダヤ人にとって大切な場所。
気になったので調べてみたら、日本国内にあるシナゴーグは4つ。
神戸にあるそうだが、残念ながら一般人が簡単に訪れることはできなさそう。
そして、モスクもシナゴーグもある神戸に惹かれている。



この文字がヘブライ語
イスラエルの公用語として話されている言語で、起源は旧約聖書の時代にまで遡る
そしてアラビア語と同様に右から左へと書く文字だ。
この地区ではヘブライ語の看板がたくさんある。



ユダヤ教と聞くと、長い間迫害を受け、辛く悲しい歴史を持つユダヤの人たち。
ヨーロッパの歴史でユダヤ人といえばナチス・ドイツによる大量虐殺を思い出さずにはいられない。 




ユダヤ人が初めてハンガリーにやってきたのは3世紀。1860年代にはユダヤ人に対する締め付けが解放されたものの、1920年の反ユダヤ法の制定によって職業制限や財産没収などが行われるように。


そしてナチスによる占領。
親ドイツ派がクーデターによって権力を握り、ユダヤ人に対する迫害は更にひどくなっていく。
わずか2ヶ月の間にハンガリー国内で約43万人のユダヤ人がアウシュヴィッツ強制収容所へと送られたのだ。
だが、このホロコーストについて議論することでさえも、戦後の社会主義国時代は許されていなかった。



そんなハンガリーで、戦時中にユダヤ人を救うために奔走した人がいる。
ラウル・ワレンバーグというスウェーデンの外交官は、赴任したブダペストでユダヤ人を救うため、セーフ・ハウスと呼ばれる家を建て彼らを泊めたり、保護証書を発行したりすることで10万人もの人を救ったのだ。
しかし、赴任の翌年、ソ連によってスパイ容疑で逮捕され、ロシアの刑務所に収容されたのを最後に、今もなお行方不明のままなのだ。
 

日本人であれば、これに似た話を聞いたことがあるんじゃないだろうか。
そう、日本が誇るべき人物、杉原千畝
同じように、戦時中のリトアニアでユダヤ人を助けるためビザを発給し、約6千人ものユダヤ人を救った人物。



ちなみにこのシナゴーグはヨーロッパ最大のシナゴーグで、世界ではエルサレム、ニューヨークに続いて三番目に大きなものだ。



歴史に疎いながらも、自分の目で見て、人に聞いて、ネットや本で調べて、少しユダヤ教のことも知ることができたブダペスト。
日本人とはあまり接点がないイメージがあったユダヤ教。
知れば知るほど、意外にもアジアや日本人との接点が多いことに気付く。



ユダヤ人といっても2タイプのユダヤ人があるらしい。
一つは血統のユダヤ人。
もう一つはユダヤ教信者のゆえユダヤ人と呼ばれるユダヤ人。
ユダヤと聞くとイスラエルのユダヤ人やユダヤ系アメリカ人をイメージしてしまうからか、血統のユダヤ人がもとはアジア人であったことを知り、はっとした。



実は東南アジアにもシナゴーグは存在するようだ。
確認できただけでもシンガポールとミャンマーの2カ国。
次回訪れたい場所が増えた。

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