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チベット縦断記 ラサの街と茶館

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チベットが中国領土になってからというもの、チベット域内には漢民族が流入し、2014年11月現在、首都ラサには漢字で書かれた看板が溢れている。 正直、チベット文字で溢れた街を期待していた一旅行者からするとそれは不要なもので。 チベット人であることに誇りを持ち、中国を良く思っていないチベット人が少なくないのも事実。 だけど、チベットに物が溢れ、豊かになることを望んでいる人たちがいるのも事実だ。 ラサは想像していた以上に大きな街だ。 大通りなんか、これまで見てきた中国の地方都市みたい。 ただ、一本路地に入ってみると、そこには思い描いていた景色そのままと言ってもいいようなチベットらしい光景が残っていた。 石造りの外壁にカラフルな窓枠が映える。 1階は出入り口兼店になっているところが多い。 ここに来たのはある場所に行くためだ。 それが、茶館。 茶館と書いて「ジャカン」と読む。 チベットに来たら絶対に訪れたいこの場所は、文化的、歴史的、そして食文化的にも見逃せない。 漢字の上に書かれた文字がチベット文字。 チベットのどの街にでも必ず1つはあるジャカン。 文字からも想像できる通りお茶屋さんだ。 集まってお喋りができる憩いの場、チベット風のカフェとでも言ってもいいかもしれない。 そして一度座ったら何時間も長居をするのがチベット流。 人が集まり話をすれば噂が生まれるのはどの国でも同じらしい。 ここジャカンで噂が生まれ、そして伝わってきた。 ただ、中国が侵略してからというもの、茶館での「行き過ぎた」噂話はご法度。 一般市民を監視・密告する人物がいるからだ。 もちろん、外国人旅行者の私たちも例外じゃない。 ※茶館に関して興味があれば、エッセイ「茶館」を読んでみてほしい。 https://shukousha.com/translation/woeser/957/ 茶館に着いて、まずはカウンターで注文をする。 階段を登って席についてしばらくすると料理が運ばれてくる仕組みだ。 もちろん私たち以外は全員チベット人(のはず)だが、もちろん口は慎む。 普通のおしゃべりはするけれど余計なことは言わない。 ここにいる笑顔の人たちもあの侵略で家族や知り合いを亡くしたんだろうかと考えると胸が痛い。 大した金を落と

ポタラ宮と五体投地

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チベット2日目:ラサ ラサ滞在二日目、チベットといえばの Potala Palace(ポタラ宮) へ。 1994年世界文化遺産に登録された、ラサの象徴、チベットの象徴とも言えるこの建物は紀元前7世紀に建立。 海抜3700メートルの地にあり、敷地面積は約41万平方メートル、13階建て。 ポタラ宮のお膝元には Shol(ショル) と呼ばれる村がある。 ショルにはもともとチベット語で「下」という意味があり、ポタラ宮の下に位置する村なのでショルという名がついたそう。 ショルはポタラ宮に連なり約5万平方メートルの面積があり、チベット政府のかつての庁舎や住居が点在している場所。 目に入ってくるのは観光客ばかりで人が住んでいる雰囲気は感じられないけれど。 今現在、ここに ダライラマ14世はいない。 なぜならインドに亡命中だから。 ただ彼の政治と宗教の師となる2人は今もなお、このポタラで生活を続けているそう。 この門は1996年から開放されていないそう。 この先に何 があるんだろう。 ポタラ宮は中心にある赤い部分と、それを取り囲む白い部分に分けられるのですが、それぞれ Red Palace(紅宮) 、 White Palace(白宮) と呼ばれています。 Red Palace は17世紀にダライラマ5世によって建設。 White Palace の左側Collegeの機能を持った部分はダライラマ6世によって、右側、黄色の窓ほうは19世紀にダライラマ13世によって建設。   赤い壁は単純に壁に色を塗って色づけしていたわけではなかった。 チベットでは日本のように大きな地震が起きることはないので、このポタラ宮はセメントなどを一切使わず、自然の土などしか使っていないのだそう。 昔、馬をここにつないでいたらしい。 この絵はすべて天然石を使って色付けしてあるのだそう。 この入口は僧侶専用なので一般の人は通れない。 そしてここからはポタラ宮内部へ入っていくことになる。 そして、入場料200元。 思っていた100元から値上がりしている。 外国人は入場に事前予約が必要で、建物内を見学できるのは1時間のみ。 時間厳守しなければガイドが罰せられるぐらい厳しく取り締まら